ようへいはこんな人

スノーボードで生きてく事を諦めた、じゃなくて明らめた。

19歳。
ぼくが自身の進路で一番悩んだのがこの時期だった。
なぜかって?それはスノーボードと出会ってこれから本気でこの道で生きていくべきか、そうでないべきか葛藤があったから。

ここでいう「本気でこの道で生きていく」とはいわゆる「ライダー」の事だ。
当時スクローバーの石川敦士さんに強い憧れを抱いていた。

地形での高いオーリー、スタイリッシュなスピン。ただ、真っ直ぐ飛ぶだけでも人を魅了できるライダーだと感じた。
この人のジャンプは本当に見ていて楽しかった。

だから、ぼくもそんな人を魅了できるような存在になりたいと思ってし、何より純粋にスノーボードが楽しかった。
初めてスノーボードした時のの高揚感は一生忘れることはないだろう。
夏の今でさえ、たまに体が疼くし。

それぐらい大好きなスノーボードだから、この道で勝負したい。新しい世界で自分はどこまでいけるのだろう?と本当に考えた。
だけど、ぼくは諦めた。大学で電子工学を学んで、エンジニアになるという、一応の大義名分を果たすために。
この葛藤の気持ちは親しい友人、半袖坊やにしか伝えなかった。両親には言えなかった。
なんだか、あまりにも違った世界に自分が行ってしまう気がしたし、正直いうとビビっていた。
それに、自分と同世代のプロ、国母や中井孝治は第一線で活躍していて、そんな連中と渡り合えるとは到底思えなかった。
当時はCAB900が世界のスタンダードトリックと言われていた。現在で言うダブルコーク10かな。

時が経ち、世間では大手と言われる、富士通に入社できた。
まぁ、一応の社会人にはなれた。同期はたくさんいたけど、正直、優秀だなって思えるやつは一人もいなかった。
皆、ぼくが出会ったスノーボード仲間に比べると輝きは少ない。何より仕事に対するモチベーションが低すぎる。
夢中になれることがないから、輝きもないのだろう。
だから、そんな会社はつまらなかったし、だんだん仕事そのものに対するモチベーションも下がった。
第一、満員電車に揺られ続けるの辛いし、そんな人生はなんか違うと強く感じた。

でも、いわゆるサンデーライダーなどを通して、一応スノーボードを続けていた。
なぜならば、もう少し自分のスノーボードを高みへと導きたかった。だから、ウィスラーに来た
うまくはないけれども、僕が唯一輝ける場所だから。

現在、29歳、あれから10年、こう想う。
「あの時スノーボードで生きていくことを諦めてよかった。」
今もこうして楽しくスノーボードライフを送れるし、怪我の悩み、スポンサーとの制約に縛られなくてすむし。
なにより、自由に滑れる。

最近知ったのだが、仏教では諦めるとは「明らめる」というそうで、自分の存在を明らかにする、という意味があるそうだ。
ネガティブなイメージではなく、今の置かれた立場を認識できる、現実に向き合う積極的な言葉だとぼくは思った。

29歳ぼくは明らかにした。詳細を書けるようになるのはもう少し後になるが、少しずつ自分の人生が明らめてきたと想う。

ただ、時々考える。
「あの時ライダーを志して、自分を鼓舞していたらどんな世界があったのだろうか?」

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