ようへいはこんな人

天野洋平のプロフィール

就職後は4年間勤めるが、精神疾患を患う→「会社で働きたくない」から大企業を退職→英語が話せないけど、趣味のスノーボードを満喫したくてカナダ移住。

カナダ暮らしや趣味のスノーボードのことを綴っていたら、「30歳・皿洗い・時給900円」→「32歳・フリーランス・月収100万円」と変化していきました。

ブログやカナダに感謝。

 

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日本の会社に馴染めず海外に現実逃避。
その後、現地で皿洗いしながらブログやSNSで発信を続けて1年8ヶ月で月100万円以上の収入源を構築した方法を無料で配信中!

 

学生時代

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10歳ぐらい、ジャイアン体型でした。弟から「デブ」といじめられる。東京都足立区生まれ。東京と聞くとすごい栄えていて、都会の街!っていうイメージがあるかもしれません。しかし、ぼくの生まれ育った足立区はいわゆる下町。

 

昭和の光景の様な駄菓子屋さんや、畑などが近所にあります。さすがに、駄菓子屋さんは今ではなくなってしまいましたが、現在も畑はちらほらと目にします。

 

小学校の時に、ハイパーヨーヨーが大流行。近所のおもちゃ屋さんに、毎週のように通い詰めていた時期があった。

 

将来はプロのヨーヨープレーヤーになる信じて疑わず、毎日5時間ぐらいは練習していた。 

 

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ぼくのヨーヨーケース。50個以上はあるかな。 

 

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ぼくの現在のお気に入りヨーヨー、未だに少しやっている。

 

気づけば、当時世界的に活躍するヨーヨーのパフォーマンス集団と近い実力を身につけていた。日本代表みたいなチームです。

 

その頃の影響か、一つのことを、とことん極めるオタク力が養えた。ヨーヨーはさすがに今はやっていませんが、「好きな事をとことんやる姿勢」はこの時に身につけました。学校に通っている以外は、ほとんどの時間をヨーヨーに費やしていましたから(笑)。

 

中学校 

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ぼくの在籍していた、中学校はいわゆる当時はいわゆる不良学校。

どれぐらい悪いかというと、

 

「火災ベルがわりと頻繁になるから、火災かどうかよくわからない」

「卒業式に、卒業生が三分の一ぐらいこない」

「東京都内で一番学力が低い学校」

 

まぁ、挙げればきりがないですね。今思えば、よくそんな学校で育っていたなっという感じ。そんな学校だから、ぼくも例にもれず荒れていました。

 

「入学当初は学年10位ぐらいだった、成績が下がりまくって150位ぐらい(学年は180人ぐらいだった。)」

「ゲームと麻雀ばかりやる日々」

 

この頃には

 

ようへい
ようへい

興味のない事をやる必要はない!

みたいな偏った哲学が既に、形成されていました。

 

高校

そんな荒れていた、中学校生活だが蔵前工業高校の電気科に進学。工業高校に進学した理由は

 

ようへい
ようへい

手に職をつけたかったから

 

新聞を読むと、不景気・リストラなんて言葉がよく目にされていて、将来なんらかの強みがないと生きていくのは厳しいのだなと感じる。そもそも、「普通科」って概念がぼくにはよくわかりません。必要ない、高度な数学や、難しい古典を勉強して将来の何の役に立つのかわからなかった。

 

偏差値でいうと50程度しかない、誰でも入れる学校だが、長年の歴史により教育プログラムがしっかりと確立されていた。そのおかげでぼくも在校中にいくつかの資格を取得することができた。

 

取得した資格は、現在のぼくの仕事に直接影響を及ぼすことはないが、物事の勉強方法や集中力のつけ方について学べたあと、自転車で毎日往復30キロ以上かけて通っていました。うーん、若い!

 

高校3年生の2月にスノーボードを始める、人生の転機

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高校生活も終わり近くなると、ある友人がぼくのことを最高なイベントに誘ってくれた。

「あまちゃん、今度スノーボードへ行かない?」

 

ぼくは、スノーボードをやったことがなかった。。

けれども、楽しいだろうなっていう直感が働いた。そして、その直感はぼくの今後の人生を大きく左右することとなった。

 

そして、初めてのスノーボードは、最高すぎた!今までに経験したことのない高揚感、血の騒ぎ。

 

ぼくはこれから先の人生でスノーボードはやりつづけるなと確信した。

 

スノーボード

大学1年生の時は、友達と雪山に通いつめた。友人と新潟県にある、上越国際スキー場というゲレンデのホテルで泊まりこみでアルバイトもした。大学生ということもあり、あまりお金をもってはいなかったが、家と、リフト券が支給されるのは本当にありがたかった。

 

8時から11時、16時〜21時というシフトだったので、中抜けの時間は滑りまくっていた。オタク気質なので、平日も休日も時間を忘れて滑りまくった。

 

大学3年生の時は石打丸山スキー場へ、今度はペンションで働いた。ホテルと同じような感じ。しかし、今回は11時〜14時までしか、働かなくて良い。

 

石打丸山スキー場はナイター営業もやっているので、21時ぐらいまでは滑れた。なので朝8時〜11時、14時〜21時まではずっと滑っていた。1日10時間以上滑り続けた。

 

大学4年生では群馬の友達の家を起点に、群馬のゲレンデに通い詰めた。興味のあることは、トコトンなのでもはや、遊びの領域を少し超えていた。

 

カナダへの思いを馳せる

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20歳の時、ぼくをスノーボードに誘ってくれた友人が

「カナダのウィスラーでインストラクターをしている知り合いが、日本に来るから、あまちゃんも会わない?飯田フサキさんっていうんだけど。」

 

っと言われた。

 

カナダ?ウィスラー?・・・フサキ?

 

何をいっているかいまいちわからなかったけど、どうやら彼の遠い知り合いらしい。ぼくはフサキさんの出身である、江戸川区の平井というところに、足を運んだ。

 

ふさきさんは、お酒が入っていたせいか、かなり熱くぼくたちにスノーボードの魅力を語ってくれた。たしか当時では30代後半ぐらいのおじさんw

 

「ウィスラーはめちゃくちゃ良い。」

「この技だったら、1シーズンもせずにできるようになる。」

「こんなスポットがいっぱいある。」

 

当時人気の、スノーボードDVDを見ながら語ってくれた。ぼくはいつか、カナダのウイスラーに遊びに行こうと心に決めた。

 

そして、それからぼくはクリアファイルに、「ウィスラーに行く」っという文字を書いて、雪山の写真を入れて、電車のなかで眺めていた。そうしていると、いつか近づけるような気がしたし、なにより楽しかった。

 

いつ行けるかの根拠はなかったけれども。
「いつか終わりがくるならば、せめて後悔しない人生をしたい。」
 

富士通グループ入社

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大学を卒業後、2009年〜2013年まで、大手企業の富士通グループでソフトウェアエンジニアをしていました。

 

「とりあえず、大手で受けてみたら内定した」

そんなパターンだった。そんな動機だから大手企業でしたが、一言で言うとつまらなかった。

 

肝心のカナダについても、大学3年生の時に本気で考えたが、ビビってやめてしまった。英語が話せない、お金をどうしよう、っていうかまずどうすれば良いのだろう

 

20歳のぼくにとっては、海外に一人で行く、という行為が大きすぎて、現実味がまったくないものだった。だから、現実的な就職という道を進むことになった。

 

東日本大震災

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勤務していた横浜の高層ビルが揺れまくって、電車が止まりまくって、ビルに亀裂が入りまくり。ご存知の通り日本中を震撼させた大事件。ビルが超揺れたので

「俺の人生もこれで終わりだな」っと本気で危惧した。

 

そして、ぼくは自分の人生について多分、はじめて真剣に考えた。26年間なんとなく、目の前にあることを消化してきて、今までなんとか生きてこれた。それなりに楽しい人生だったかもしれない。

 

けれども、社会人になってから、実のところ不満だらけの人生だった。もっと、ぼくは自分らしく、自分の人生を謳歌したい。そんな想いを強く抱いた。

 

 

2013年、退社。

 

 

大手企業を退社してカナダへ

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 2013年9月についに、憧れの地、カナダへと旅立つことになった。

 

「英語はまったくしゃべれない」

「知り合いは誰もいない」

「家や仕事はどうればよいのだろう」

 

そんな、不安がつきまとったけれども、とりあえず行ってみることにした。行動しなければ、何も始まらない。そこでは、ぼくが待ち受けていた以上の想像を絶する刺激的な生活だった。毎日が充実していて、何もない1日も感動を覚えた。

 

現在の活動やブログに対する思いなど

カナダ生活を始めるにあたって、自分の記録を残したいなと思ってブログを開始多くの方に読まれており、おかげさまで2019年3月現在では月間15万回以上読まれる個人メディアとなりました。

 

昔の自分の行動メモや、同じように困っている人に向けた内容を発信。

 

多分、その方が全体としてハッピーになれるはず。あと、ブログを書いている時が自分自身と向き合えて僕のライフワークとなっています。

SNSやYou Tubeなどで自身の経験を元にしたコンテンツを随時配信しています。

 

これからの人生について

ぼくには昔から夢が3つある。

 

  1. 年収1000万
  2. 幸せな家庭を築く
  3. 趣味を謳歌

 

(2019年1月追記、いずれもブログ開始1年ちょっとで達成できました。)

年収1000万っていうと、お金にものを言わせてブイブイしたいのか、お前は?!と思われてしまうかもしれない。

 

別に裕福がしたいわけではない。人生の選択肢が狭まるのがぼくは嫌なのだ。ぼくは30歳以降も、もっと自分の人生を楽しみたいし、先日結婚した妻や将来の子供のためにもどうしてもお金は必要になってくるのだ。

 

たった1度の人生、自分らしく思い描いた道を歩きたい。

辛いこともたくさんあるだろうけれども、少しでも選択肢の広い人生にしたい。

 

関連記事:やりたいこと100、夢、目標、将来どのように過ごしたいか。

 

その後の目標について

 

  1. 2021年8月(35歳まで)に事業所得1億円突破
  2. 自分、読者さん、広告主、の三方よしの状態
  3. 過去の自分と同じような人の最初の一歩の支援

 

収入面をもう少し強化する。その上で、今までの活動は自分が勝ちすぎるようになっていたり、逆のケースもあったりとバランス感が悪かったかなと思います。なので、出来る限り三方よしの状態を心がけていきます。

 

また、過去の僕のように、いまいち行動に移せなかったりくすぶっている人の背中を押せればいいなと思っています。

 

詳細・価値観や考え方など

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  • 1986年の8月に生まれ
  • 比較的1人が多い、家が大好き
  • 大雑把なO型
  • 趣味:ブログとスノーボードとランニング
  • 元フリーターの皿洗い
  • 月収100万くらい
  • 好きな本:森絵都さんのカラフルが人生のバイブル
  • 知識や経験にはお金をドンドン使う
  • 好きな事、好きな場所で自由に生きいきたい

 

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